グルン トゥム クマル

タイトル:私の東京

私は2015年5月に日本に来ました。日本来て日本語学校で日本語を勉強しました。日本へ来て2ヶ月半立ちました。私はそろそろアルバイトをしなければなりません。この間に面接をうけました。でも日本語がへたですから呼ばれませんでした。国から持って来たお金もなくなりました。いっしょに住んでいる友だちはバイトはじめました。私は心配しました。その時学校の友だちに宅急便にさそわれました。この仕事やろうと思いました。面接の日も決めて次の日学校が終わってから友だちといしょうに面接に行きました。

みんなはヤマトは大変だと言われました。きびしそうです。電車の中でかんがえて心配しました。どうやって仕事やりますか。荷物をながすそして運びだけだと友だちに聞きました。荷物は大きいですか。どんな荷物ですか、面接でどんなしつもんがありますか。考えたらヤマトにつきました。面接に来た人がいっぱい並んでました。私たちもこのラインに並びました。

20分ぐらいたちました。私のまえからネパール語ですみませんみたいなこえが聞こえました。私ははいといいました。前に並んでいた人がトイレどこですか。と聞きました。私も初めてですからわからないといました。私のうしろにいる人はこっちですといいました。その友だちはトイレ行ってもどったらありがとうと言って、それからはなし始めました。並んでる時いろいろなおもしろいはなしとネパールの家みょうじいっぱいはなしました。面接も終わりました。帰る時もいっしょに帰りました。電話番をもらってときどきメ-ルと電話で話しました。面接の3日間ヤマトから電話がきました。

友だちにもヤマトから電話がきました。仕事する場所は同じだけどグ-ルプはちがいました。1ヶ月ちょっと大変でした。私のグ-ルプに日本人とネパール人が5人いました。2かいからながしたものを1かいで住所をみて、かたずける仕事でした。友だちのグ-ルプはべつでしたけど休み時間に遺書にしょくじしました。その友だちとてもちかくなりました。

6ヶ月がんばりました。ヤマトははけんの人はいっぱいくるのでときどき人がたりません、でも5人のところを3人で仕事をやったことがありました。いつもいつも人が足りないので3人ですごくがんばりました。3人のがんばるのを見て部長からみんなの前でひょうしょうされました。ヤマトのジャケットをもらいました。バイトの中で私ともうひとりのネパール人と日本人だけもらいました。私のグルプ全体のリーダーもとても優しい人でした。休まないように疲れる日に自分のポケットからお金をくれました。

私は歌を歌いますから練習するのにいいところでした。おおきい声で歌ってもだれも聞こえないから練習ためにとてもよかったでした。2年かんがんばりました。でも弾乗るの誇りでのどの病気になりました。2週間病院に入りました。それから友達と私衣装にヤマトをやめました。いろいろなおもしろいことを思い出します。ヤマトで知り合った友だちは遺書に住んでます。ヤマトからとてもいい友だちをもらいました。友だちの名前ラメスタマンです。